「仇討禁止令」(菊池寛)

生きた時代の流れがあまりにも速すぎた

「仇討禁止令」(菊池寛)
(「日本文学100年の名作第3巻」)
 新潮文庫

幕末の高松藩。
勤王恭順を説く一派は
家老を暗殺し、
出兵中止に追い込む。
家老を斬ったのは、
家老の娘と許嫁にあった
天野新一郎であった。
数年後、頼母の娘お八重と
嫡男万の助が
仇討ちを望んでいると聞き、
新一郎は戸惑う…。

作品名どおり、仇討ちものです。
前回取り上げた「恩讐の彼方に」も、
仇討ちが絡んだ物語でした。
この「仇討ち」という江戸時代の制度は、
事の理非を問わず、
肉親を殺された者が殺した者を
討つことが許されるというものです。
復讐については他国でも
認められている例があるのですが、
日本の仇討ちは、
不十分だった警察システムを
補完するために制度化されていた点と、
武士の体面上の問題から
少なからず奨励されていた点が
特徴でしょう。

さて、新一郎は「義に生きる人」です。
藩の将来を守るために、
義理の父となる家老・成田頼母をも
亡き者とするのです。
冷酷なのではありません。
義に突っ走ってしまうからです。
暗殺の相談の場面では、
遠慮するようにいわれても
進んで首を突っ込みます。
暗殺の場面でも
自ら一太刀浴びせてしまうのです。
引く方法はいくらでもあったでしょう。
でも、引くに引けない人なのです。

加えて、新一郎は学問にも明るく、
「ことの理非がよく分かる人」なのです。
徳川家であっても
錦旗には弓を引かなかったのです。
いずれは幕府も
恭順の意を示すであろうこと、
そしてそれゆえ、今、
政府軍となった薩長と戦えば、
それは賊軍の汚名を
着ることになること、
時代は大きく変化していること、
したがって順逆を間違えるわけには
いかないこと、
全て理解していたのです。

同時に、新一郎は「走りきれずに
迷ってしまう人」でもあるのです。
暗殺に関わってしまったのなら、
同士とともに脱藩していれば、
お八重と万の助も
もっとすっきり仇討ちに
踏み切れたと思われます。
自分が斬ったことを
二人に知られたくないと
逡巡している間に
脱藩の機を逃してしまうのです。
数年後、
二人が自分を頼ってきたときにも
真実を告げることができずに
病を得てしまいます。

突っ走り、ことの理非を
理解していながらも、迷ってしまう。
これは何も新一郎が
優柔不断なのではありません。
本来誠実な青年である新一郎にとって、
生きた時代の流れが
あまりにも速すぎたのです。
政治システムも、
価値観も、
生活様式も、
すべてが急激に変化した
維新の時代です。
そしてその中にあって、
仇討ちだけが明治六年まで
生き残り続けていたのですから。

人気作家菊池寛らしい
お涙ちょうだい作品といえば
それまでですが、
素直に涙を流したい逸品です。

(2020.4.23)

acworksさんによる写真ACからの写真

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